学校に行く途中に、サークルKがあります。
ちょっと、トイレを借りに入ったら、中華まんのホカホカ機(・・って云うのかなぁ)
最上段に、ぷっくら蒸されたキティちゃんを発見(@_@。
瞑らな瞳で、訴えかけるように
『わたしを、食べて・・・♥』
そう、囁かれてしまい・・・150円を小銭入れからカウンターに置いていました。
「おぉ~、かわゆぃ♥・・・」 桜色のリボンが楚々とした感じを醸し出している
なかなかの1品で御座います。
しばし、キティと見つめ合い・・・愛をこめて
パクッ・・・(*´∀`*)
あ・・俺の歯型に、キティちゃんの顔が・・・その残虐な行為によって無残な姿になった
彼女は、お見せするわけにはいきません、ので・・・もぐもぐ。
食べ終わって見ると、キティまんに敷かれていた紙に、占いが載っているではありませんか
中ハッピー・・・中吉って事なんでしょうか。
それによりますと、デートに、お勧めのラッキースポットは、水に関わる癒しのスポット
水と云えば、ルルドでしょ。。。そうか意外な共通話題って事は・・・そんなルルドで
「え~ッ!ホスチアさんクリスチャンだったの!わたしもぉ~♥」と、盛り上がり
「ねぇ、モーセ五書で何が好き?」とか
「バビロン捕囚後の預言は、ちょっと怖いけど、今の世界と共通する気もするの」とか
「裏切り者だけど、イスカリオテのユダは救われないのかなぁ」
なんてリラックスした話題で盛り上がり、二人の距離が一気に縮まるのだね(#^.^#)
ん。。そんなに嬉しく無いかも。。。それ誰?
水と云えば、キリスト教にとっても、水は神聖な存在、主も度々喩え話しに出される。
印象深い箇所とすれば、「サマリアの女」の部分でしょう。
あの箇所で、唯一、主が疲れを見せる記述が書かれているのは、肉体的弱さを感じさせ
親近感と、休んで欲しいと感じてしまう記述です。
一方、サマリアの女は、男の愛を求めて5人の男性と暮らしてきた、凄腕の女性。
だからか当初、彼女はイエズスを小馬鹿にしているような態度をとる
当時、ユダヤ人はサマリア人とは付き合わなかった、それは血筋を重んじるユダヤ人にとって
バビロン捕囚中に異邦人と混血したと思われる彼らを、正当な神の民と認めず
彼らと交わる事で、汚れると考えいたからである。
そんなユダヤ人であるイエズスが、サマリアの女である自分に水を求めるなんて
どうせたいした男ではないと思ったのかもしれない。
しかしイエズスと話す内に、並外れた預言者と感じる様に変化する。
サマリア人も、ユダヤ人と同じ神を信じていた、イエズスは預言者が語るメシアは自分だと
福音の中でも珍しく、自ら宣言をする。
そして、イエズスは自分は命の水と言われる。
決して乾くことない、生きた命の水だと・・・女はイエズスを信じた、そして普段は自分に後ろ指を
指す町の者達にそれを伝えにとって返すのである。
イエズスに出会った者は、「変わる」それは現代でも同じなのでしょう。
何かに囚われている者にとってイエズスは、命の言葉であり、乾き続けて生きてきた者の
命の水、そのものなんのです。
しかしここで疑問が・・・喉が乾き彼女に水を飲ませて下さいと言ったのに、彼女はイエズスの
話しを聞いて町に帰っちゃったのです。
「あ・・町に帰る前に、水ぅ・・・」って、思ったよねぇ。。。イエズス様、可哀想(´;ω;`)
ん。。キティまんから、だいぶ話しが飛んでしまったのですが、そのキティまんのお味は
仄かにアップルの香り漂うカスタードクリームで御座いました。
美味しかったよ(*´∀`*)
う。イエス様はその後お水を誰にいただいたんだろうか
返信削除??誰にも聞けなかったです(._. )
聖おにいさんな妄想:お釈迦様がスジャータさんに
いただいたミルクを分けっこしたり(零点)
✿リアンさん✿コメント有難うございます。
削除多分、彼女は水を汲む桶の類を置いて町に戻ったと思います。
だから、イエズス様は自分で汲んで飲んだかも(*´∀`*)