近頃、毎晩繰り返し読んでいる、ヨハネの15章。
ヨハネ福音の14章から17章は他の3つの福音と大きく違う。
それは、イエズスが、愛する者に語る言葉。
それは、イエズスが、選んだ者だけに語る言葉。
其処では、16章29節で弟子が語る様に、もう喩えなどは使われない。
繰り返し読むのです。
15章12節から17節までを・・・
何度も、何度も、何度も。
掟を。
其処には、主の御血で書かれた、唯一の文字が在る。
丹念に、力強く、恐れなく、書かれた、文字。
その文字を、撫ぞる。
荊棘で覆われているのだけれど
撫ぞる、その指先は爪も剥がれてしまうのだけれど
丹念に、時間が掛かろうとも、恐れなく
撫ぞりましょう。
愛
その文字は、キリストと読むのです。
このときに、イエス様とお弟子さま方が
返信削除分け合われた「パン切れ」を作った方
のことを考えていました。(そのころパン作りは女性の
役目だったと聞きました)
その方はたぶんこれから起ころうとすることを胸ひとつに、収めて、続きが書けないです
すみません
✿リアンさん✿
削除コメントありがとうです(*´∀`*)
最後の晩餐の料理やパンは、きっとマリア様や
マグダラ達が作ったのでしょうね
マリア様は勿論の事、外典「マリアの福音」で
記されるマグダラと主の関係からすると
マグダラのマリアも、その後に起こる事は
感じていたと思われます。
どんな想いで、過越しの食事やパンを作ったのでしょうね・・・