東京の神の愛の宣教者会修道院に伺った時の事。
台所(キッチンと表現するより、台所なんです)の壁には
予定表や沢山のメモが貼られていました。
そんな中に、マザーの言葉が、辿たどしい文字で書かれているものを見つけたのです。
よく知られている言葉の中に、ひとつ深く考えさせられた言葉に出逢いました。
『遠くにいる人を愛するのは簡単です。けれど近くの人を愛するのは困難な時もあります
しかし、身近な人を愛する事から行いましょう』
正確には覚えていないのですが、こんな感じの意味だったと思います。
身近な人、それは家族です。
父親、母親、兄、弟、姉、妹、祖母、祖父・・・共に暮らしていると
感情の釦を掛け違えてしまう。
赦す事の出来ない仕打ちを受けてしまう事すらある
愛すると云う行為は、自分の利益を考慮しては行えないのです。
けれど、誰でも「期待」する、そう俺だって「期待」してました。
でも「期待」する心に愛は宿らない、小さな裏切りでも身近な者なら憎しみに変化する
だから、遠くの人を愛そうとする
裏切られた時に傷つかな為に、自分自身の為に
だから、愛に似た愛でない行為なのかもしれない。
愛には、強い意思が必要でしょう。
必ず傷つくのが、愛という行いですから、愛するんだ、と強く決意しなければならない
しかも、もうそれを途中で放棄出来ないのです。
愛する事を、途中で止めてしまえば、人を大きく傷つけるのですから。
けれど他に、愛は存在しない。
「赦せない者を、赦し、愛しなさい。」
「傷つくのは、あなたです。愛するのも、あなたです。だから愛しなさい。
何故なら、主はあなたがそれに気づくまで、そうあなたを愛しておられるのですから」
マザーがそう語っているようです。
マザー・テレサの言葉は・・・強い、そして 美しい。
ホスチアさん
返信削除>愛には、強い意思が必要でしょう。
意志がなくても、私は愛することがやめられないです。
もし、嫌われても愛することは、やめられないです。
私は人を愛して傷ついたこともないです…記憶がないです。
兄弟や両親と喧嘩もしたけど、楽しかったな…
今思うと、私の愛は、息子にしたら、うっとうしかったかも知れませんね^^;
ごめんなさい。気持ちが理解出来なくて。
ホスチアさん、多くの方に愛されてますよ。
もちろん、私も(^^)
愛することが私の幸せなんです。
マリア様の御手に傷があるイコンを見たことがありました。マザーの言葉と重なり思い出されます。
返信削除(`・ω・´) シャキーン
✿道子さん✿まりあぁ~(*´∀`*)
返信削除コメント有難うございます。
俺は、自己中心的な男ですから、意思を持たないと「愛する事」より、「青される事」を期待してしまいます。
その鎖から、主は開放して下さる手立てを、主によって示して戴きました。
その気持ちです。
マザーのその言葉の下には、もうひとつ言葉が書かれていました。
「愛する事は、傷つく事です。」と、俺は共感出来ました。
自然に愛せる、道子さんが、羨ましいです。
それは、本当に神様の御恵みですね。
俺は、まだまだ愛される事に期待してしまいますから・・・
✾リアンさん✾まりあぁ~(*´∀`*)
返信削除マリア様の御象や御絵で、胸に何本もの剣を突き刺されているものを、
見ますと、マリア様は主、以上に傷つきながらも愛を全うされた方
なのだと思い知ります。