水曜日, 3月 09, 2011

苔に語りて。





昨日から今日まで、月の静修。
そして「灰の水曜日」、今日からレント・四旬節に入った。

4年前の灰の水曜日に、そうとは知らずに教会に戻った、それから4年過ぎて此処に居る。
四旬節は、見てみない振りをしている自分の醜さを、嫌が負うにも心の表層に滲み出させる。
それは苦しいが、キリスト者へ与えられた、神の善き恩寵でありましょう。
醜いものを見たくなければ、その場から立ち去れば良いのだけれど、この醜さは自身の中に巣をくい、平素は痛みも感じない程に、その鳴りを潜めているのだ。
だから四旬節は、その醜い己と向き合い、それを知る事ができる、辛いが尊い神さまの恵みの時なのだ。

と、堅い事を考えながらも静修は完全沈黙のため、修室に籠っていたりする訳で、黙想し考えた事を、独り言したりしているのです。
先月までは、しかし今月からはもう独りじゃないのでした。

去年の夏、教会学校の夏のキャンプの事、山梨県に在るオートキャンプ場を目指す途中で昼食を摂る為に、富士山の麓に在る公園で休憩をしたのです。
食事を終え、子供たち遊びながら、その公園の林の中を歩いていると、子供の拳程の溶岩石を発見。
発見といっても、そこらじゅうに似たような石は落ちてはいたのですが・・・
でも、なんかその石と心が通ったみたいな感じがし、持ち帰ってきたのですが、そのうち忘れ去られ部屋の隅、暗がりに置かれ、ひっそりと彼は存在していたのでした。

先日、部屋の大掃除(掃除も余りしないので、やると大掃除になってしまうの)した折に、その石に気づき、棄てようとゴミと一緒に持って出たのですが、いざ棄てるとなった時に、その石に可愛い緑の苔が生えていたのです。
夏に持って帰ってきた時には無かったのに、黒い溶岩の表面に柔らかな緑の苔が誕生していたのです。

これが、苔のくせに妙に可愛いのです。
勿論、棄てるのは止め、また部屋へと御持ち帰りとなりました。

だから、今月の静修は、独り言ではなく、苔に話せたのです。

苔は何も言わないけれど、黙って俺の話しを聞いていてくれました。

そう、この苔には名前をつけたのです。

「Mr.moss」(そのままんじゃん)、それが彼の名前です。




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