津波から1年経った岩手県大槌町に入った。
カリタスジャパンと長崎教区の合同で運営するボランティア・ベースが大槌町の中心部に位置する被災したビジネスホテルを改修し活動している、今回はそのベースに行かせて戴いた。
正直、期待していた。
半年程前に南三陸に行った時には全ての被災された方々が仮設住宅に
転居され、生活の不安が少し解消されているのかなと感じた、そして
1年が過ぎているのだから瓦礫と呼ばれてしまった多くの建物は
撤去され、民家や店舗、各施設などが建築され動き始めているのだろうと。
でも、違った。
時は、止まったままの様に其処に在った。
ボランティアベースの裏手に在る建物は、あの日まま其処に在った。
天井を吊るす軽量鉄骨は無残にまがり、垂れている。
壁の断熱材の硝子繊維は埃とヘドロで黒く爛れたまま、部屋の隅には流れ着き、
澱んだ川の様に人々の生活の痕跡が沈殿している。
そして、建物の壁面に付けられている時計は、あの時間を指したまま
二度と動く事はないのだ。
辛うじてその建物を残す店舗の中は、生々しい恐怖を伝えてくれる。
それは、立っている事が出来ない程に悲しい。
大槌町の中心部、何もない人影もない、荒涼とした祈りの匂いだけが広がっています。
流された家族にでしょうか
基礎だけになってしまった住居には
其処かしこに花が手向けありました。
復興には多くの問題が巨大な壁の様に立ち塞がっています。
支援もそうしたシステムの中に埋没してしまいそうな、苦しみを実感しました。
ひとりのボランティアには、そんな大きな力に立ち向かう事などできませんが
何かしたいと願い此の場所に立つ時、感じた事があります。
望まれているのは、物でもお金でも無いのです。
寄り添って、痛みを少しでも共有する事なのだと感じます。
ベースの近くに仮小屋を建て、ガソリンスタンドを再開されているオジサンが話しました
「こうして、瓦礫にいつまでも囲まれていたら、希望なんて持てない。
新しい建物が建ってくれたら、どんなに励まされるか・・・」
瓦礫の問題もあります。
関東と東海の間に位置する、S市が瓦礫の受け入れを発表した時には、本当に町民が喜んだそうです。しかしS市の市民や周辺住民方の反対運動で、その計画が頓挫してしまって、希望の光がひとつ消えてしまったと・・・そしてポツリと呟きました。
「同じ日本人なのに・・・」
余りにも広範囲な災害は全ての人心を納得させる良策などないのかもしれません。
けれど、この同じ日本の中に、絶望しかけている町が人が沢山存在していて、あの津波からまるで時が止まったように悲しみと苦しみに喘いでいます。
ひとりが出来る事は、からし種より小さいでしょう。
でも、寄り添う事、忘れない事、それは大きな希望を生む筈です。
神は愛です。
俺達は、その神の似姿として創造されています。
ならば、俺達は愛です。
からし種より更に小さな愛ですけれど、持ち寄って寄り添って抱きしめて
そう、祈り続けます。
時を進めましょう。