日曜日, 12月 18, 2011

magnificat








わたくしの魂は主を崇め

わたくしの霊は

救い主である神を喜び讃え、踊ります

主が、そのはしための卑しさを顧みて下さったからです

そうです、今から後

いつの時代の人々も

わたくしを幸いな者呼ぶでしょう。


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明るかった背景も、つかの間、今日から待降節も、第4週。

今日の福音は、お告げの場面。

神様が、ユダヤの歴史に介入され、イスラエル民族の神から、全人類の救いを愛のみで行い始められた、その場面はガリラヤ地方の小さな街、ナザレの貧しい処女に告げられた神秘から・・・

処女マリアは、無作為に選ばれた訳ではない、神が人の時間に介入される以前から、
マリアはマリアであったのだろう。

マリア様は、確かに特別な存在なのです。
けれど、俺たちひとりひとりも、マリア様の様に無原罪でないにしても、
神の賜物を各々に神様は御与えになっています。
それは、ひとりひとりが、神の救済計画に無くては成らない存在だからなのでしょう。

大天使ガブリエルのお告げを受け、全てを受け入れるマリア様の「なれかし」の中に
人が、神の御前で義とされる、唯一があるのです。

そして、マリア様はナザレを離れ、エリザベトの所に向います。

そこで、福音書の中で、これ程までにマリア様が歌う事の無い場面へと向います。




Magnificat



旧約聖書の中に、この「マリアの賛歌」の雛型がある、けれどルカ福音書のこの歌は
マリア様の魂の中から湧き出でた、歓喜の歌。マリア様、御自身の歌だったのでしょう。





福 音 書




開く度毎に、驚きと感激と気づきが満載の書物。
嘗て「声」だった神は、御言葉として受肉され、俺達のうちに住まわれている。
この大いなる恩寵を記した書物、福音書。

その中で、最も愛を感じるのが、この「マリアの賛歌・magnificat」。

修道院での聖務である晩課の時に、歌うマリアの賛歌、これを此処に来て最初に共同体の中で
兄弟達と歌った時に、涙が出てしまった。


「神はわたしに偉大な事を行われた。その名は尊く憐れみ代々・・・」

主は、こんなにも汚れた俺ですら、御下に招いて下さり、御自分の道具ととして御使いになられようとされて下さる。
そう知った時に、涙が止まらなかった・・・

とるに足りない罪人の俺を愛して下さって。



俺が、主に御返しできる事は、主の教えて下さった愛です。


主と共に同じ屋根の下に暮らせる幸福を、全て御捧げ致します。







主イエズス・キリストは讃美されますように。アーメン。








4 件のコメント:

  1. 「わが心は主なる神を崇む」
    これは、彼女の心情と生命が悉く霊にあって内から
    高揚しているその時の絶大な感激と豊溢する喜びから
    発した言葉である・・
    もっと引用したいのですが、内側も外側も
    溢れ出す何かがあって、、書けないです。

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  2. まりあぁ~(*´∀`*)

    リアンさん、コメント有難うございます。
    画像のマリア様は、丁度マグニフィカトを歌っている絵です。
    後ろの男たちは、何やら冷やかしている様にも見えます。

    人は神の霊に満ちる時、傍目には奇異に映るリます、けれどそんな人間的な対面など意に介さない程に、神の恩寵は、霊も魂も身体も、自分の持てる全ての愛で、その神の愛に応えずにはおられないのです。

    だから「マリアの讃歌」は、そのはち切れんばかりのマリア様の想いに圧倒されてしまうのです。

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  3. +maria

    ホスチアさん、こんばんは!
    腰痛、大丈夫ですか?寒いと痛めやすいといいますよね。暖かくして、お大事になさってください。

    マニフィカトは素晴らしいですよね。晩課で歌うといつも幸せを感じます♪( ´▽`)マリア様の賛歌を共同体で味わいつつ歌えるのは、まさに恵みだと思います。私も涙ぐんだ経験、あります(笑)

    ブログの背景、イイですね。この季節にぴったりな雰囲気( ´ ▽ ` )ノ

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  4. まりあぁ~(*´∀`*)

    ファントムさん、おはようございます。

    明日から黙想ですね、きっと寒いと思いますので暖かくして向かわれて下さい。
    待降節大詰めの中での黙想ですから、きっと善い御示しがあると感じます。
    心から御祈り致しております。

    24日、兄弟一同御待ち致しております。

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