水曜日, 12月 07, 2011

偶然が織り成す、綴織。







昨日、修道院にひとりの女性が訪ねてこられた。

御自分の召命について、迷いや確信を知りたいが為に。

それは偶然に、このブログからだったのだけれど
俺自身の召命を思うと、やはり偶然が重なって今に至る。

召命は不思議で、その道に進みたいと願っている方が、修道会に入会するかと言うと
そうでもなく、そんな事を余り考えた事もない人間が入会したりする。

それは、偶然が不可欠な要素なのかもしれない。

その偶然には、人との出会いがある。
そこから、次々と人との出会いが始まる、しかも急速にである。

召命の主導権は神様にあり、人はその強烈な重力に引きつけられ、その愛の炎に焼かれる。

ひとりの人間の召命は、神様が織る綴織の様なもの。

偶然という、人との出会いを織込みながら、修道者ひとりひとりを丹念に織り込んで下さる。
人の眼には偶然としか映らない、人との出会いは、神様の仕組んだ事かもしれない。

でも、神様は自分だけの好みでは行わない、その出会いが起こす、その結果は人に委ねられる。
出会いによって、大きな変化を起こすも、全く起こさないも、人の自由意思に任せられて、御自分は雲の上からそっと見つめておられる。

神の愛に気づく者が、愛の中で生きていた事に気づく者が、愛に生きようと歩き出すのが召命なのでしょう。

偶然が織り始めた、この道をデザインするのは自分です。
けれど、織り成す糸がなければ織り進めない。

それは、偶然という、出会いの中で神様が渡して下さる、神の糸。

神の糸、織り成す布は、愛そのものなのですから。

俺と同じように、歩き始めている彼女の為に日々、祈っています。

神の糸、渡されたけれど、こんがらがらない様に、お互いに祈りながら織り進めたいと願いながら。

そして、いつか後ろを振り返った時に、歩いて来た道に広がる綴織が、誰かを暖め癒している事が出来たら・・・そう希望するのです。

明日は、無原罪の聖母の祭日、マリア様に寄り縋りながら、祈り歩んでいきましょう。



主イエズス・キリストは賛美されますように。アーメン。



2 件のコメント:

  1. ホスチアさんのブログを通して、修道召命を感じられた方が、神さまと自分と向き合うことが出来て素晴らしいです
    ^^ パパ様が、ITにおける豊かさを伝えたことが実っていますね^^

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  2. シスター、コメント有難うございます。

    ネット社会は、顔が見えない社会と云う事もあって、誘惑に満ちていますが、摂理の中で生まれた文化であれば、決して悪いものでなのでしょう。
    こうして、ブログを多くの方に見て戴く事は、リスクを伴う事なのかもしれませんが、良い出会いが存在する環境でもある事を信じています。
    俺はまだまだ駆け出しの志願者で、何も力なんてありませんが、召命を感じている方や、同じ様に今、歩んでいる方と悩みや迷いや苦しみを共にしたいと感じています。

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