無原罪の聖母の御腕に、しっかりと抱かれ
まっしぐらに天に上った、この日
主の愛する忠実な僕は
聖とされた。
2011年12月8日
ひとりの小さな主の聖人が、生まれた日。
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隣りの勇太郎が泣くから、我慢してたのに・・・泣いただろぉ~(´;ω;`)
そうなったら、もうダメで、涙が止まらない。
弔辞の話しで、完璧にやられてしまっていた所に、勇太郎が泣くからぁ~
ポケットティッシュが残り少ないって非常時なのに、勇太郎が泣くからぁ~
ハンドタオルを部屋に忘れたのに、勇太郎が泣くからぁ~
もうだめ、泣き崩れちゃうぅ~゚(゚´Д`゚)゚。。。。。。
常に、クールなホスチア?でありますが、そんな訳で、大泣きした副院長様の葬儀ミサで御座いました。
弔辞をされた方の、副院長様のエピソードを聞き、心から何故もっと話しをしなかったんだろう
もっと、御世話をすればよかった・・・
次々と副院長様の想い出が蘇ってきました。
先日、買ったテレーズの本の中に
「人は生きたように死ぬ」と書かれていました。
副院長様を想う時、その言葉が、本当に重く感じられて、何度も呟いていたのです。
副院長様、修道名をアダムと言います。
アダムさんは、そうマザーテレサのような偉業を行なった訳でも、有名な司祭でもありません。
けれど、リジューのカルメル会の修道院の中で、病に倒れ、この地上の島流しから解かれ、故郷に戻った時、その修道女の存在を世界は知らないのです。
主はこうして、名もない小さな者を誰よりも慈しまれ、愛おしまれるのです。
兄弟アダム修道士の、死はそれを思い知らさるのです。
アダムさんは、聖人に成りたいと希望していたと感じます。
けれどそれは、けっして自分自身の誉れを望むのではない、真の聖人を希望した事でしょう。
アダムさんが好きで尊敬していた、テレーズの祈りにそれを見出す事が出来るのです。
おお、神様、幸福そのものでいらっしゃる
聖い三位の神様!
聖い三位の神様!
私は御身を愛し、また愛させ、
世に在る人々を救霊の道に導き、
煉獄の霊魂に天国の門を開いて、
世に在る人々を救霊の道に導き、
煉獄の霊魂に天国の門を開いて、
聖会の光栄のために尽くしたいのです。
主の御旨を完全に果たし、私のために御国に備えられている光栄の高さまで達したいのです。
すなわち、私は、聖人になろうと願っております。
けれども私は、じぶんの無力を感じておりますゆえ、
おお、神様、どうぞ御身ご自身、
私の聖徳におなり下さい。
私の聖徳におなり下さい。
(神のあわれみの愛に身を捧げる祈り、より)
きっとアダムさんも、この祈りを愛しておられた事と思います。
そんな、アダムさんの、エピソードを御紹介します。
弔辞の中で語られたエピソードです。
弔辞を行われた方は、アダムさんの神学校時代の先輩でした。或日、アダムさんの修室に招かれたそうです。
「私の部屋には、お酒もお菓子も無いですが、珈琲ならありますから、どうですか?」と誘われ
その方が部屋に行くと、机の上に、十字架が置かれていたそうです。
けれどその十字架は裏返しに置かれ、磔の主の姿が見えないのです。
「何故、裏返しに置かれているのですか?」と、聞くとアダムさんは、こう答えたそうです。
「主の苦しみに寄り添いたい。その願いはあるけれど、まだまだ私は弱い。
苦しみが来るのが恐ろしく不安になる。
子供は親の背中を見て育つと言う、
今の私は主の背中を見て、少しでも御跡に従いたいと願っている」
無原罪の聖マリアの日、ひとりの聖人が生まれました。
アダムさん、本当に有難うございました。
「私の部屋には、お酒もお菓子も無いですが、珈琲ならありますから、どうですか?」と誘われ
その方が部屋に行くと、机の上に、十字架が置かれていたそうです。
けれどその十字架は裏返しに置かれ、磔の主の姿が見えないのです。
「何故、裏返しに置かれているのですか?」と、聞くとアダムさんは、こう答えたそうです。
「主の苦しみに寄り添いたい。その願いはあるけれど、まだまだ私は弱い。
苦しみが来るのが恐ろしく不安になる。
子供は親の背中を見て育つと言う、
今の私は主の背中を見て、少しでも御跡に従いたいと願っている」
無原罪の聖マリアの日、ひとりの聖人が生まれました。
アダムさん、本当に有難うございました。
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