11月21日、今日は「聖マリアの奉献」の記念日。
ある福音書は、マリアの誕生の次第を、こう記す。
マリアの母アンナは子のできない女だった。
アンナは、嘆き神に懇願の祈りを捧げる。
するとごらんなさい、主の御使いが傍に立って言いました。
『アンナ、アンナ、主がお前の願いを聴き入れて下さった。お前は孕んで子を生むだろう。
お前の子の事は世界中で語られるだろう。』
そこでアンナが言いました。
「生ける私の主に誓って、男の子でも女の子でsも、私の主なる神様に供えもとして御献げいたします。私の子は生涯全てにの日渡って神様に御仕えするでしょう。」
中略。。。
月満ちてアンナは、女の子を産みました。
日が満ちると、定めに従いアンナは身を潔め、赤ちゃんに乳を飲ませ、その子を『マリア』と名付けました。
嬰児は日に日に健やかに育ち、6ヵ月になったとき、母親は嬰児を地面におろし、立てるかどうか試しました。
すると7歩、歩いて母の胸に縋りました。そこで彼女は嬰児を抱き上げ言いました。
「生ける主なる私の神に誓って、お前を主の神殿に連れて行くまで、お前はこの大地を歩む事はありません。」
中略。。。
さて、嬰児に月が増し加わり、2歳になった時、父ヨアキムは母アンナに言いました。
「私達が建てた誓願を果たすため、マリアを主の神殿に連れて行こう。主が私達に誓いを破った罪として御使いを派遣し、また私達の嘉納されなくなるといけないから。」
するとアンナが言いました。
「マリアが父さん母さんを恋しがらない様に、もう1年待ちましょう。」
そうして、マリアは3歳になりました。(3歳のマリアさまだって。。。可愛い(*´∀`*)。。。)
するとヨアキムが言いました。
「ヘブライ人の汚れのない娘を呼び、ひとりひとりに灯火を持たせ、灯をともさせない。マリアが振り返って、その心が主の神殿から誘い出されないように。」
そこで人々は一行が主の神殿に上ってしまうまでそのようにしました。っすると祭司はマリアを迎え入れ、接吻してマリアを祝福し、言いました。
「主はあなたの名を代々にわたって大いなるものとされた。終の日に主はあなた故にイスラエルの人々に贖いを現されるダリう。」
そうしてマリアを祭壇の階段の3段目に坐らせました。
すると主なる神はマリアの上に恵みをおかれたので、マリアは喜んでその足でもって踊りました。
そしてイスラエルの全家族はマリアを愛でたのでした。
マリアの両親は、マリアが父、母のもとへ戻ってこなかった事に驚き、主なる神を讃えながら下がって行きました。
マリアは主の神殿で鳩のように養育され、天使の手から食物受け取っていました。
ユダヤ教には、「ナジル人」と呼ばれる、神に奉献した人たちがいます。
その、ナジル人にも、大きく分けて2パターン存在します。
ひとつは、所謂、願掛けの様な事をする、ナジル人です。
特に、長旅などをするユダヤ人は、その旅の期間だけ自らを神に奉献しナジル人となります。
旅が終われば、その請願は解かれるものと、もうひとつは、この「マリアの奉献」のように、生涯を神に奉献するナジル人です。
洗礼者ヨハネも、きっとこのナジル人として神に奉献されのではと思います。
この、福音は聖典から外された福音書ですが、当時のイスラエルの宗教文化を垣間見る事が出来るコンテキストだと感じます。
この福音書に書かれていることを、信じる信じないではなく、聖母マリア様が、カトリックの修道女のように御暮らしなっていたと想像すると、奉献生活を行なっていこうとする者には、大いなる慰めと力を与えれるのです。
聖マリアに感謝。
主なる御父に賛美と感謝。アーメン。
幼少のころ、このお話を聞かされて、
返信削除「マリア様がいけにえになっちゃう~!!」大泣き
したのを思い出してしまいました。。
その前に「アステカの◎◎」みたいなのんテレビで見て
まして(;´▽`A``
リアンさん、コメント有難うございます。
返信削除ピラミッドの前の石の祭壇で首を切るみたいなのね。。。
アブラハムとイサク的に考えてしまったんですね、この福音の「足でもって踊りだす」ってとこが好きなんです。
ちいちゃなまりあ様が、ぴょこぴょこと踊ってるのを想像すると楽しくなります(*´∀`*)