土曜日, 12月 31, 2011

十字架に縋りて








俺たちは一年365日欠かさずにミサを捧げる

喜びの朝も、悲しみの翌日も
病のさなかも、苦悩の時も


朝はまだ世界を照らさない
冷えた廊下が心を冷やす

この短い距離が
主の御受難の道へと誘う

小さな
小さな
本当に
小さな

十字架の道行

御聖堂の扉を開く

さぁ!

顔を上げて

主と共に死にましょう。



✝・・・・・・・✝・・・・・・・✝・・・・・・・✝・・・・・・・✝・・・・・・・✝・・・・・・・✝・・・・・・・・✝



毎朝の御ミサに十字架を持って行く。
それを、自席の前に置き、ミサに与るのです。
勿論、祭壇の壁には磔刑のキリスト像の十字架が掛けられているのですが、
俺は、写真の十字架を持っていくのです。

ミサ中、下を向いている事が多いので
跪いた時に十字架が見える様にとの思いからそうしているのです。

俺は、信仰が弱い。

ややもすると、毎日のミサが当り前で、聖務という義務をこなしているだけの様な気持ちになってしまうのが恐ろしいのです。

今朝のミサ、院長様の説教の中で、

「感謝の反対語は、当り前です。」と、御聞きしました。

俺は、どれだけこの生活と、とんでもない恩寵の内に生かされている事に感謝しているのだろう
そう、自問自答すのでした。

それは、きっと主に全てを奉献したいと希望したその瞬間からの自身への問いでもあるのです。

俺は、信仰が弱い。

こうべを垂れた時に、其処に主のしるしを求めるのです。

愛そのものである、主の御姿を求めてしまう。

命を渡す程の感謝の念を、得たいのです。

いつか、こんな作り物の十字架なんて必要なくなり、御聖堂であろうと、野っ原であろうと
街の雑踏の中でだって、闇の内に迷うその日でさへ

主よその御姿をはっきりと見ることができますように

身体の全ての動作が、感謝を示す事ができますように

心の全てが、感謝だけで埋め尽くされますように



俺は、信仰が弱い・・・



4 件のコメント:

  1. ほんとうに信仰がよわいひとは、それを感じることが
    できないと思います・・
    2011年、本当にお世話になりました。
    ありがとうございます。

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  2. (。´∇`)ぁヶぉめっ★

    リアンさん、お世話だなんて、俺は何も出来ませんでしたから・・・
    でも、ほんの少しだけでも、リアンさんの心をチョンと押すことができたとしたら、それは主の慈しみの御手伝いを出来たのかなのと思います。
    しんどい事、辛い事は消えないけれど、少なくともリアンさんは独りじゃないんです。
    俺が独りじゃないようにね。
    そして、誰も独りじゃない、愛し合いましょう(*´∀`*)

    今年も宜しくです。

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  3. 新年あけましておめでとうございます(*^-^*)

    昨年は本当にお世話になりっぱなしでした…
    何かお返し出来ればと思うのですが
    これはホスチアさんに色々教えていただいた事を
    実践に移していく事が、一番の恩返しかと^^
    有言不実行はいけませんからね(;´∀`A


    >俺は、信仰が弱い・・・

    記事にお書きになられた事が
    まるで私ごとのように感じました。
    私もまだまだ信仰が弱いです。
    私の弱さはまだ知識と
    理解の不足も伴っていますしね…
    ゆっくりと信仰と知識、理解を育て
    磨け上げつつ、神様だけで満たされる
    自分になりたいと願っています。

    今年もどうぞよろしくお願いいたします。
    あと修練許可おめでとうございます。
    さすが!私の「兄弟」です^^

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  4. (。´∇`)ぁヶぉめっ★

    solaさん、おめでとうございます。

    今年も宜しくですぅ。

    solaさんのブログに、新年の御挨拶とコメントの御返事を致しましたぁ

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