火曜日, 11月 01, 2011

聖テレーズが見ていた景色




今日は、カトリックの教会暦では「諸聖人の日」、祭日である。
カトリック信者なら、きっと誰でも尊敬し、好きな聖人が、
聖母マリア様は別格として、その他に必ずひとりは存在するでしょう。

俺にとっての、そんな聖人は
「幼きイエズスと尊き面影の聖テレジア」
フランスはリジューのカルメル会の修道女。

俺が、説明しなくとも、その生涯はよく知られた聖女である。

幼い頃から、イエズス様とマリア様を慕い、若干15歳でカルメル会に入る
その霊性は、小さき子供の様な道、
聖女は、その短い生涯の中で実践し、3冊のノートに書き留めた。
今、カトリックは、聖女を教会博士とし、その信仰と霊性を信者の手本にとする。





テレーズは、何を見ていたのだろう。

何を見ようとしていたのだろう。





それは真に命懸けで、主イエズス・キリストだけを求め、見ていたに違いない。

キリスト教の信仰は本来そうした行為なのだけれど、そうする事は周りとのバランスを欠く事にもなるのだろう。
社会生活の中で、そうした事は、起こりうるのだけれど、教会の中でもさして違いはないのかもしれない。

信仰は、ひけらかす様な類のものではないが、キリストを、キリストだけを求めていると
それを隠しようのない自分が存在してしまう。

さすれば、心無い言葉や態度に遭遇する事になるのだが・・・



少し落胆した心に、主は御言葉を下さった。



「わたしにために罵られ、迫害され、身に覚えのない事であらゆる
悪口を浴びせられるとき
あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。」マタイ5:11~12




今日の福音箇所・・・。

多分、テレーズも、少し浮いた存在だったかもしれません
けれど、テレーズが見ていたものは、見ようとしていたものは
その時の生活と天秤に掛けられる様なものじゃなかった。



俺は、聖人の様な、強い信仰を持ち合わせているわけではないけれど
俗世に在る事よりも、この道を、主に示されたと感じ、此処にいる。

だから、見ていたい
だから、見ようとし続けたい
身体の細胞ひとつひとつが、主よ!と叫ぶのだから
霊が魂が、その叫ぶ身体をも疎ましいと感じる程に

主の示された御言葉通り

喜びましょう。大いに喜びましょう。




テレーズが見ていた景色を、見に行くために。











6 件のコメント:

  1. テレーズ、見えないもの、見えるもの
    すべてを主と聖母の目で感覚していたように
    思うのです。。ホスチアさんも。。。

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  2. τ平和と善。
    リアンさん、コメントありがとうございます。
    俺達が聖人の信仰や生涯に触れる時、それに倣おうとしても様々な環境の違いや、その霊性に大きな違いがあります。
    イエズス会のヘルマン・ホイヴェルス神父様の言葉に
    「大抵の聖人は我が強い、だから聖人の真似をすると失敗する、しかし我が強い人物がいないと、歴史はつくれない」
    と言うのがあります。
    そして「宗教臭いは良くない。下手な芸術家のようなものです。いくら美味しからといって、アイスやプリンばかり食べていては健康ではないのと同じです。」と仰っています。
    きっと、聖人達は、木々にやって来る小鳥の様な存在かもしれません、又は道端で見かける小さく可憐な花の様な存在かもしれません、そして雄大な山、満天の星なのでしょう。
    俺達は、それら自然を見て神様の偉大さを感じ讃美します。
    聖人達のように神様を見る事は、おそらくこの先もないでしょう。
    けれど、その聖人達を通して神様の愛を見ることは出来るのかもしれません。
    自然を見て、神様を感じる様に。
    俺は、此処に居て幸福にも神様漬けの生活を送る事が出来ていますが、それでも、それだけでは神を見る事は出来ないのだと感じています。
    神様の御業は、教会や修道院の中で行われているよりも、世の中で、より強く働かられているのですから。

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  3. マザーテレサが、「誰でも聖人になれます」と仰ったように、どんな人もかけがえのない聖性を内にもって
    主の与えてくださった役割を果たそうとしているのだと思います。(その聖性を探そうと願うときついことがちょこちょこあるのですが)
    だから、ホスチアさんに倣うことは誰も出来ないです。かみさまのみ業の側面のひとつひとつなのだと思います。
    罪深いですが「これでも神様は愛していると言えるの?」
    と叫ぶ夢をみてしまいました。

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  4. τ平和と善。
    リアンさん、お返事ありがとうございます。
    大きな災害や、自分に降りかかった悲しみで、神様に「どうして!」「何故?」って感じる事は、当然だと思います。
    そうして、何故、どうしてを嘆き投げ捨ててしまい、神様に背をむけてしまえば、その何故はどうしては、自分を苦しめるだけで終わってしまい、残るのは虚しい憤りだけかもしれません。
    けれど、何故を、どうしてを神様に問い続けると、必ず思いもよらない方法で神様は応えて下さります。
    それは、きっとリアンさんにしか解らない、でも素晴らしい恵みとして応え下さると思います。

    リアンさんの苦しみは解りませんが、どうか御祈りさせて下さいね。
    マリア様と共に、祈ります。

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  5. ホスチアさん
    ありがとうございます。その夢を書かせてください。
    原子炉?のような場所に、男性が作業していたのです。作業途中、その方の首にかけていた御メダイが熱くなり、その方はやけどされました。
    とても悲しい、つらい夢でした。
    不愉快にお感じになられたら、すみません。。
     背中を押していただきましたので、めげないで神様に尋ね続けていこうと思います(苦笑)
    そして、今いのちがけで作業してされている
    人々を、お守りくださいますよう主と聖母に祈り
    ・・・今、書いていてコレだ!ですPq゚v`◆)*・+.。゚
    ホスチアさんのお体のことお祈りさせていただきます。本当にありがとうございます。

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  6. リアンさん、怖い夢を見たんですね・・・

    でも、夢の話を読んで、こんな風に解釈してみました。

    その男性が作業していた場所は、大変危険な場所です。
    でも、その男性は責任感が強く、危険でも仕事を続けています。

    マリア様はそんな男性を、その場からなんとか避難させようと思いました、そこで荒療治です。
    メダイが熱くなる事で、当然男性は火傷をしてしまいました。
    すると、痛くてたまりません、仕方なく火傷の治療に行くことになり、危険なその場所から遠ざかる事が出来る・・・

    火傷はしたけれど、命はたすかりました。

    マリア様は、ホッと一安心、火傷も早く治る様に、薬にルルドの水を1滴入れました。


    なんて、都合良く解釈してみましたぁ(*´∀`*)

    そうですね、今も原発の中で、危険な作業に従事されている方々の為に、祈り続けなければと強く感じます。
    誰かがやらなければならに仕事を、今日も行なって下さる方々の健康と安全を、心から御祈り致します。

    リアンさん、ありがとうございます。

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