木曜日, 9月 15, 2011

十字架賞賛そして悲しみの聖母







見よ、此の木によって
遍く世界に
喜びが
来た。


喜び・・・
俺は、何に喜んできたのだろう
俺は、どんな時に
嬉しいと
感じてきたのだろう。


母親の機嫌が良い時


嬉しかった


恋人が喜ぶ時


幸福ってこれかな、と思った


周りの人が
幸せそうな顔を
してると


嬉しかった



誕生日に
「何が欲しい?」
と
聞かれると
困っていた



だって
「君の笑顔だよ」
なんて言えないでしょ



でも
それが
なにより
欲しかった



ねぇ
イエズス様
は
喜んでいますか
幸せ
ですか


そです
主は
御自分の
幸福など
望まれなかったのでしょう

だから
今
悲しいんでいる
人
苦しんでいる
人
と
今、共に
苦しまれる


そして


その、苦しみが
喜びに
変化する時


主よ
御身は
きっと
幸福を
感じて
下さる
事でしょう



たとえ
その苦しみが
人の眼には
苦しみのまま
だと
しても


主と共に
苦しみから
解放された
者
には
喜び以外
在りはしないのですから。



悲しみの聖母の日
そう、感じるのです



マリア様の
苦しみは
御自身のものではなく


主が
共に
苦しまれて
いる事を
気づかず
暗闇の中
身動き出来ない
真実の者
の
為に
涙されるのですから



死んでは
いけません



愛は
死より
強い
のです



マリアは十字架の下に
佇まれた。


今も
そして
これからも


唯一の
希望
喜び

愛を伝える為に
主と共に。






アナスタシア。














東京に戻って、体調が悪い
暑さの所為か


ぼんやりしていた

彼女の歌が聴きたいと

想った。


彼女は


もう、居ない。


いつか天国で
彼女を探して
この曲を
彼女の
背中を
見つめながら
ギターを
弾かせて
と
頼もう。





水曜日, 9月 14, 2011

黙想にて-2・・・黙想の家



福岡県は御受難会黙想の家。

敷地に入ると、眼に飛び込んで来るのは、移築工事中の聖ザビエル聖堂。
全て寄付金と、ボランティアの職人さんで只今、建設中なのです。
中に入ると、壁面そして天井に至るまで全て創建当時の工法で行っているため
とても手間と時間が掛かりますが、職人さんの笑顔は喜び溢れていました。

青い空に、朱色の瓦屋根、白い漆喰の外壁が、眼に痛い程、鮮やかです。

黙想の家の周りは、閑静な住宅街で、此処に住まわれている方は、朝、外に出ると、
このチャペルが、ドーンと見えるわけです。


幸せな風景。






そんな、素敵なチャペルの前を通り過ぎ、緩やかに曲がりくねった道は、森の中を通っているようです。

やや直線に成る頃に、黙想の家が見えてきました。


マリア様が、出迎えて下さるのです。

中庭の彫刻は、ゲッセマネから引かれて行く、主イエズス様でしょう。

しかし、主は堂々とされ、ローマ兵はまるで、お付きの者よう。






着きました、兄弟達と、そして主と共に禱る場へと・・・








火曜日, 9月 13, 2011

黙想にて-1・・・聖なる者たち











日々の聖務から、しばし解かれて

森の中、禱り集う

聖なる者たち。


沈黙の大気を陽射しが包む

独り一人の禱りを知るイエズスも

沈黙に在り

愛に在り



永い年月は聖人を形造る





その老修道士は、存在の極み


聖なる者達の聖なる瞬間

風が吹く

優しい時間






土曜日, 9月 10, 2011

Simone Weil≠「重力と恩寵」












黙想会で出逢った本。



これも、主の御旨。


黙想の恩寵。




シモーヌ・ヴェイユ著


『重力と恩寵』



Amazonで手に入れようかと思ったけれど
その前に、修道院の図書室を・・・

在りました。



邦題―『愛と死のパンセ』

翻訳者は、出逢った本の方とは違うのだけれど


それも、神の御旨。




黙想会の御話しは、あしたまた。。。


重力から、解き放たれて


恩寵へ!






土曜日, 9月 03, 2011

切支丹の里。





再び長崎巡礼を許され、本日は管区長様の御案内で、大山~善長谷~伊王島と巡って来ました。

長崎は、平坦な土地が少なく、国道から脇道に入った途端に、山道に激変します。
自転車では絶対に無理っ!そんな急勾配の道を登り始めると、すぐに鬱蒼とした山の中に・・・
大山は竹の産地でもあり、竹の森が続きます。
その竹の森は不思議で、少し不気味な風景です。

今は、こうして車で登れるのですが、切支丹の時代は、人が暮らすは過酷な土地でした。
そのため、長崎奉行所の詮議も、及び難いこううした、山奥に切支丹の村があったそうです。

山を登りきった辺りに、大山教会があります。
教会は、建て直した為に、新しい煉瓦たタイルの外壁の綺麗な教会です。

御聖堂のステンドグラスが素敵でした。







次に向ったのが、善長谷教会。

此処も、大山と同じく山の上、細い林道をこれまた凄い急勾配で、登りきった処に、教会は在りました。

教会から見る、長崎の海は、軍艦島を遠くに見る、眺めの良い場所です。

教会の脇に、古い木製の扉が在りました。



この扉の向こうには、別の世界が在る様な、そんな気分になるのです。



教会の入り口の上に、ステンドグラス製の十字架が掛かっています。



目立たない場所に、ぽつんと置かれている様に、在りました。



入口の脇の扉を開けると、ステンドグラスが優しく出迎えてくれのです。





色硝子と透明な古い板硝子から差し込む光は、本当に優しい・・・



最後に向ったのが、伊王島の教会、まるで西洋の御城の様な白亜の教会です。
港に面している教会は、晴れていれば、空の青と海の緑に映える事だと感じました。
生憎、台風の影響で悪い天候でしたので、想像しながら、教会を見上げていました。
そして、残念な事に、教会の修理工事の為、御聖堂に入れず、近くで外観を見るだけに成ってしましまいましたが、次回の楽しみが出来たので、神に感謝。

入口のマリア様を遠くに見ながら、天使祝詞を唱えるのです。





管区長様と教会に続く階段を下った処に、近所の御婦人がおられ、御話しをすると、お姉さまがシスターで、しかも、管区長様の御知り合いのシスターだったのですが、長崎では珍しくない偶然なのかもしれません。

月曜日には、長崎を離れて福岡の御受難会で黙想に入ります。

来年は、修練でまた長崎に来るでしょう。

長崎に心から感謝です。


金曜日, 9月 02, 2011

大天使ミカエル去りて、青。












4階の修室の窓から見る空は大きい

雲を眺めるのは好きだ

少しばかりの想像力を働かせ

この雲は、ミカエル様なのでしょう

ほんの僅かな時の天使様

ミカエル様は消えました

雲が切れ

窓枠一杯、青い空

あぁ、秋の青だ。