見よ、此の木によって
遍く世界に
喜びが
来た。
喜び・・・
俺は、何に喜んできたのだろう
俺は、どんな時に
嬉しいと
感じてきたのだろう。
母親の機嫌が良い時
嬉しかった
恋人が喜ぶ時
幸福ってこれかな、と思った
周りの人が
幸せそうな顔を
してると
嬉しかった
誕生日に
「何が欲しい?」
と
聞かれると
困っていた
だって
「君の笑顔だよ」
なんて言えないでしょ
でも
それが
なにより
欲しかった
ねぇ
イエズス様
は
喜んでいますか
幸せ
ですか
そです
主は
御自分の
幸福など
望まれなかったのでしょう
だから
今
悲しいんでいる
人
苦しんでいる
人
と
今、共に
苦しまれる
そして
その、苦しみが
喜びに
変化する時
主よ
御身は
きっと
幸福を
感じて
下さる
事でしょう
たとえ
その苦しみが
人の眼には
苦しみのまま
だと
しても
主と共に
苦しみから
解放された
者
には
喜び以外
在りはしないのですから。
悲しみの聖母の日
そう、感じるのです
マリア様の
苦しみは
御自身のものではなく
主が
共に
苦しまれて
いる事を
気づかず
暗闇の中
身動き出来ない
真実の者
の
為に
涙されるのですから
死んでは
いけません
愛は
死より
強い
のです
マリアは十字架の下に
佇まれた。
今も
そして
これからも
唯一の
希望
喜び
愛を伝える為に
主と共に。
ありがとうございます。
返信削除τ平和と善。
返信削除リアンさん、はじめまして。
こちらこそ、コメントありがとうございます。
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