木曜日, 9月 15, 2011

十字架賞賛そして悲しみの聖母







見よ、此の木によって
遍く世界に
喜びが
来た。


喜び・・・
俺は、何に喜んできたのだろう
俺は、どんな時に
嬉しいと
感じてきたのだろう。


母親の機嫌が良い時


嬉しかった


恋人が喜ぶ時


幸福ってこれかな、と思った


周りの人が
幸せそうな顔を
してると


嬉しかった



誕生日に
「何が欲しい?」
聞かれると
困っていた



だって
「君の笑顔だよ」
なんて言えないでしょ



でも
それが
なにより
欲しかった



ねぇ
イエズス様
喜んでいますか
幸せ
ですか


そです
主は
御自分の
幸福など
望まれなかったのでしょう

だから
悲しいんでいる
苦しんでいる
今、共に
苦しまれる


そして


その、苦しみが
喜びに
変化する時


主よ
御身は
きっと
幸福を
感じて
下さる
事でしょう



たとえ
その苦しみが
人の眼には
苦しみのまま
だと
しても


主と共に
苦しみから
解放された
には
喜び以外
在りはしないのですから。



悲しみの聖母の日
そう、感じるのです



マリア様の
苦しみは
御自身のものではなく


主が
共に
苦しまれて
いる事を
気づかず
暗闇の中
身動き出来ない
真実の者
為に
涙されるのですから



死んでは
いけません



愛は
死より
強い
のです



マリアは十字架の下に
佇まれた。


今も
そして
これからも


唯一の
希望
喜び

愛を伝える為に
主と共に。






3 件のコメント:

  1. ありがとうございます。

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  2. τ平和と善。

    リアンさん、はじめまして。

    こちらこそ、コメントありがとうございます。

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  3. このコメントは投稿者によって削除されました。

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