月曜日, 10月 31, 2011

火曜日, 10月 25, 2011

冬眠中。。○〇








もっか冬眠中。。○




















クリックしてね



down・・・












風邪でダウン☆⌒(>。≪)

朝ミサには辛うじて参加・・・
ケド、声が全く出ずじまい

神學院もおやすみします。
2限、3限の授業だけれど
3限目は休講だったし

その、3限目は
フランシスカン霊性

風邪を治して、
また、フランシスカンの兄弟姉妹と
愛に向かって歩みましょう。




マリア様
風邪が良くなるように
御祷り下さい。


ゲホッ、ゲホッ・・(||´Д`)o

喉痛い。。。



土曜日, 10月 22, 2011

荘厳司教ミサ。




今日は、東京大司教区カテドラル関口教会マリア大聖堂で行われた
荘厳司教ミサへと、修道院の兄弟達と参加していました。

典礼は、現ローマ典礼ですが、ラテン語とグレゴリアン聖歌による御ミサであります。
主催は、カトリック・アクション同志会です。

俺自身は、殆んどセクト意識がないのですが、どうもラテン語で御ミサと言うと、様々な思いや教義的解釈をめぐる話しを耳にしてしまい、典礼の本質を見失ってしまうのではと、感じてしまい
今まで、ラテン語によるとか、グレゴリアン聖歌によるとか、の御ミサに与った事がありませんでした。
それでも、グレゴリアン聖歌は大好きなのですが・・・

今、この身を預け、この霊魂を委ねている場所は、養成の為の修道院と言う事もあって、院長様も出来るだけ見聞を広げ、高める事を望まれていますが、それは同時にニュートラルな感性で神様の呼び掛けに霊魂を開く事も望まれているのだと感じています。
今回、この荘厳ミサに参加する事も、そんな思いと、院長様に共同司式の御依頼を戴いた事とが重なり、幸運にも参加させて戴く事が出来ました。
神に感謝。

勿論、ラテン語は理解出来ませんが、所々の単語は知っていましたので、それ程、疎外感もなく
御ミサを主の恩寵によって、参列された方々と共に御捧げする事が出来たのではと感じています。

ラテン語の響きは、典礼に溶ける様に、高い天上へと登って行くかのようでした。
聖歌隊の美しい歌に、霊の全てを包みこまれて、祈りも螺旋を描き、御父に届いたかもしれません。

朗読も、ラテン語、本来の歌による朗読で、第一朗読をされた、聖ベネディクト会の修道院長様の歌声は、さすが!と、唸ってしまう程でした。

我が修道院でも、降誕祭の典礼をラテン語でと、無謀にも計画し、グレゴリアンの聖歌練習を行っています。
今日の、御ミサのような荘厳さを目指して・・・アーメン。


主よ、私たちを助け導いて下さい。・・・(懇願!)

今日も、マリア様に感謝!

心から主に感謝!

そして、カトリック・アクション同志会の皆様に、感謝!


今更ながら、ラテン語、いいです。







金曜日, 10月 21, 2011

修道院のマストアイテム





約半年間、修道院のメンバーが心待ちにしている、ある物が存在する。

信仰生活に、必ずしも役になるかと言えば・・・言葉に詰まるし
ましてや修道生活にとなると・・・ん・・・・・・・・・・すみません・・・かも・・

しかし今回は導入からマリア様が、そしてヨゼフ様までと、心を揺さぶる。
確かに教義的には肯定できない部分が在るのは否めないが
それでも、いつもより遅いその物の訪れを心待ちにしていたのであります。

ただ、修道服を着て、これは何処ですかと聞いた俺の勇気に免じて御赦しを。

やっと、新刊が発売されましたぁ~(*´∀`*)














                            聖☆おにいんさ・7



でも、書店の店員さんに置いてある場所が分からず、聞いた所が、
「青の祓魔師」のコーナーの前だったのが

恥ずかしい・・・(*´д`*)

そんなわけで、これから兄弟で回し読みなでありますぅ。





火曜日, 10月 18, 2011

オーラソーマとフランチェスコ













オーラソーマと云う、占いの様な、メンタルアドヴァイスの様なジャンルがある。
これは、上下2色に分かれた液体の入ったボトルを、その時の感性で4本選び
選ばれたボトルによって、判定するのだけれど、ボトルの名前に、大天使の名前や
イエス様の名前など、カトリック的な名称がつけられていたりして神秘的な感じを受けるのですが
昨日、やってもらったのです。

何気なくその時の気分で選んだボトルは、とてもメンタルな部分を指摘してきました。
過去の暗いものにいつまでも囚われているボトル
それらを払拭する力が、在る事を示すボトル・・・と、選んだボトルは語ってくれました。
その最後に選んだボトルは「太陽の光」でした。
過去に囚われている時は過ぎ去って、太陽の下で顔を上げて、明るく振る舞いましょう
そう、ボトルは判断してくれたのです。

そうは言っても、過去の罪を忘れてしまう事は、難しい・・・

そんな思いで、今日を迎えました。
今日も学校です、明るくねぇ・・・と、思いながら(でも、決して暗い男じゃないんですよ、まぁ明るく見えるタイプだとは思いますが、独りになると、かなり暗いかもと・・・)
さて、そんな中、今日の授業のひとつ「フランシスカン霊性」での事。
授業の中で、フランチェスコと兄弟レオの逸話を聞かせて貰いました。

フランチェスコは独りで洞窟に篭る時も、この信頼する兄弟レオを伴います。
そんなある日、どうも兄弟レオの様子がおかしい事に、フランチェスコは気づきます。
暗く打ち沈んでいる兄弟レオを見て、フランチェスコは散歩に誘います。
アシジの青い空、鳥の囀り、色とりどりの草花、フランチェスコは陽気にそれらを讃美しながら歩いて行きます。
けれど、兄弟レオは頭を垂れトボトボとフランチェスコの後を着いて行くだけでした。
そして、とうとう小川の畔に座り込んでしまいます。
心配したフランチェスコは兄弟レオに近づき「兄弟レオよ、どうしたんだい?」と尋ねます。
兄弟レオは眼に涙をいっぱい溜めて「フランチェスコ・・・私は、あなたが羨ましいのです。どうしてそんなにいつも明るいのですか・・・」兄弟レオはそう言いました。
「兄弟レオ、あなたの苦しみと悩みは、今、解かりました。しかし兄弟レオ、私はあなたに言う。自分が罪人で在る事を嘆き苦しむのは止めなさい、それよりいと高き御方の善だけを求め賛美なさい。
その方が、罪を嘆き悔いるよりも、どれ程素晴らし事か、いと高い御方は、あなたの罪を全て知っておられ、それを全て赦されたのだから、善だけを求めましょう。」
フランチェスコは兄弟レオにそう話したそうです。








罪は、在ります。

だから、神を讃美しましょう。

罪は、在ります。

だから、善だけを求めましょう。

心からの笑顔を両手いっぱいに携えて。

太陽のボトルの鮮やかさを、フランチェスコが、主が、教え導いて下さいました。

この日に、感謝。


いと高き善にまします、御父は讃美されますように。アーメン。





日曜日, 10月 16, 2011

愛の小さな祈り






主よ
御身を傷つけた
その
茨で
俺の醜い
この腫瘍を
破り
欲望の
膿みを
取去って下さい。



主よ
御身の
燃える
心臓の
生温い
この愛を
焼き尽くし
御身の
同化
しますように
たとえ
それが
一瞬
であったとしても

主よ
愛は
愛へと
昇華できるのなら
主よ
御身によって
造られ
生かされた

永遠に
存在し続ける
事でしょう。





強い風が
突然に
吹く様に
この命が
今、
取り去られようと
愛は
御身と共に
ましますように。



主よ
御身を
傷つけた
その
茨で
俺の醜い
腫瘍を
破り
欲望の
膿みを
取去って下さい。







主よ













金曜日, 10月 14, 2011

聖クララのお人形










先日、妙高教会・赤倉山荘へ黙想に行った帰りに
新潟の高田教会に近い、クララ会に御邪魔して、御ミサに与りました。

その時に、買ってきた、「聖クララのお人形」
シスターの手造りで、1体1体微妙に違っていて、あれやこれやと手に取り
比較検討した結果・・・写真のクララにしたのであります。

ポーズは、有名な逸話、クララ達の修道院にサラセン人達が襲ってきた時
クララは、御聖体で、そのサラセン人を撃退した時のクララですが、
こんな子供みたいな修道女が、ピョコピョコと歩いてきたら戦意喪失するかもです。


火曜日, 10月 11, 2011

雪の聖母。









黙想をし、御聖堂を出る。

それは、悲しい日常と向い合う時間。

生きている事は、苦しみを引き受ける事。

恵みとして。


それでも大気は清らかに冷えて

灯火を消す事はない。



振り返れば

暖かな愛が在った。

雪の聖母の教会。






そこは、満天の星。


イエス様、あなたの為さる事は

いつだって



優しい。