水曜日, 9月 28, 2011

存在 3.11










南三陸。
釜石で見た様な瓦礫の街はすでになかった。

重機のパワーと、ボランティアの小さな行いの積み重ねで
街はきれいになっていた

きれいは、違う・・・

街も、家も、何も
消えてしまって
それでも、此処に生活があった事は
絶対に消えない。

津波に流されなかった
マンションが、何も無くなった
更地にポツンと
在った。

コンクリー打ちっぱなしの洒落たマンションは
外壁も崩れる事無く
震災前の姿を想像できる。

しかし、部屋の中には、大きな波で破壊されている。

あれから、半年経っているのに
このマンションは手つかずのまま
此処に在る。

3.11のあの日と同じ状態で・・・

避難所から、仮設住宅へ
全ての人が移った。

けれど、街には戻れない


3.11
この、存在を忘れてはならない。


この、マンションはそう語ってくれた。











・・・・・・・・・・・・・・・✝・・・・・・・・・・・・・・・

今後も、多くのボランティアを必要としています。
3日でも4日でも構いません。

時間を作って
参加してみませんか。





土曜日, 9月 17, 2011

ふたつの喜び 着衣式そして・・・




本日、着衣致しました。

着衣と言っても、まだ志願服です。
カプチンと呼ばれる、頭巾はまだ被れません。
チングルムと呼ばれる、腰紐には、3つの結ぶ目はありません。

けれど、やっと1段、階段を登れた気がします。
この階段は、自分の力では決して登れません。
けれど、何度も何度も足を上げて、登ろうとしなければなりません。
でなければ、主は階段を降りて、その御手を差し伸べてはくれないのですから。


今日は、1段分だけ、その暖かい御手を差し伸べて下さいました。

感謝です。主イエズス・キリストは賛美されますように。アーメン。

そして、本当に多くの方の、尊い禱りに支えられている事を、実感します。
ありがとうございます。


禱る俺。


マリア様、ありがとうな俺。


なんか、不自然な俺。



今日は、自分の為に、喜ぶ事にします・・・少しだけ。


そして、凄く嬉しい事が起こったのです。

今日は、師父聖フランシスコの聖痕記念の祝日なのです。
全フランシスカン・ファミリーは特別な典礼で祝うのです、その準備の為に、昨日、聖痕を享けている
聖フランシスコの御絵を祭壇前に飾る事にしました。
何か、丁度良い額縁はないかと、修道院の宝の山である、図書室に発掘に向ったのであります。

図書室の奥の奥に埃まみれの額縁を発見し、その額縁を取ろうと上に載っていた潰して畳んだ段ボールみたいな薄汚れた物を退けました。
しかし、その汚い物は(本当に埃まみれで、手が真っ黒になった)段ボールではなく、デザイン画などを持ち運ぶためのケースだったのでした。
中には、なんとも色鮮やかなイラストが入っているではありませんか!
そのイラストは、カラーインク、リキテックス、パステルなどを駆使して描かれており
一目で、プロの仕事と解かる物でした。
何故に修道院に???と思い、調べると、今から約40年程前に、聖母の騎士社では
「カトリックグラフ」という大判の写真雑誌を出版していました。
その雑誌に1年間連載された、イラストだと判明。
しかし、通常は製版した後の原稿は作家に戻すのが一般的なのに・・・
その原稿を、聖母の騎士社で買い取った???
どちらにしても、この最悪な保存状態では、このイラストの寿命はそう長くないでしょう。
カラーインクなどは、紫外線に凄く弱いのです。
幸いにも暗い図書室の隅に人目に触れずに在ったたため、色は全く褪色していませんでしたが

これは、作者に返却するのが、最も良いと思い、管区長様に御相談すると、そうして下さいの御返事を戴いたのでありました。
ネットで、作者を調べると、びっくり!
その方は、今も活躍されておられる絵本作家の方でした。
しかも、全盲の絵本作家。
その方の、プロフィールを見ると、手元にある作品は、眼を悪くされる前の作品である事が判明したのです。
明日から、南三陸にボランティアに向うため、なんとか今日中に作家の方と御連絡を取りたいと思ったのですが、今日は土曜日・・・出版社系は休日・・・あちらこちらに電話をして、なんとか御本人と直接御話しができたのです。
40年前は、商業ベースで仕事をされ、うれっこのイラストレーターで、大変忙しくされていて、引っ越しが何回おわりで、聖母の騎士社もカトリックグラフを休刊にするなどで、連絡が途絶えてしまっていたようです。
作家先生は、本当に喜んで下さり、俺が南三陸から戻ったたら御送りする事になったのです。

作品も40年振りに、作家先生の元に戻れるのを喜んでいるかのようです。

その方の御名前は、エム・ナマエさん 
公式ホムペ
今は、パステルとボールペンで、優しい絵を描かれています。

発掘されたイラストを見て下さい。









今日は、幸福です。

神様に
人に
愛に
全てに


感謝。





木曜日, 9月 15, 2011

十字架賞賛そして悲しみの聖母







見よ、此の木によって
遍く世界に
喜びが
来た。


喜び・・・
俺は、何に喜んできたのだろう
俺は、どんな時に
嬉しいと
感じてきたのだろう。


母親の機嫌が良い時


嬉しかった


恋人が喜ぶ時


幸福ってこれかな、と思った


周りの人が
幸せそうな顔を
してると


嬉しかった



誕生日に
「何が欲しい?」
聞かれると
困っていた



だって
「君の笑顔だよ」
なんて言えないでしょ



でも
それが
なにより
欲しかった



ねぇ
イエズス様
喜んでいますか
幸せ
ですか


そです
主は
御自分の
幸福など
望まれなかったのでしょう

だから
悲しいんでいる
苦しんでいる
今、共に
苦しまれる


そして


その、苦しみが
喜びに
変化する時


主よ
御身は
きっと
幸福を
感じて
下さる
事でしょう



たとえ
その苦しみが
人の眼には
苦しみのまま
だと
しても


主と共に
苦しみから
解放された
には
喜び以外
在りはしないのですから。



悲しみの聖母の日
そう、感じるのです



マリア様の
苦しみは
御自身のものではなく


主が
共に
苦しまれて
いる事を
気づかず
暗闇の中
身動き出来ない
真実の者
為に
涙されるのですから



死んでは
いけません



愛は
死より
強い
のです



マリアは十字架の下に
佇まれた。


今も
そして
これからも


唯一の
希望
喜び

愛を伝える為に
主と共に。






アナスタシア。














東京に戻って、体調が悪い
暑さの所為か


ぼんやりしていた

彼女の歌が聴きたいと

想った。


彼女は


もう、居ない。


いつか天国で
彼女を探して
この曲を
彼女の
背中を
見つめながら
ギターを
弾かせて
頼もう。





水曜日, 9月 14, 2011

黙想にて-2・・・黙想の家



福岡県は御受難会黙想の家。

敷地に入ると、眼に飛び込んで来るのは、移築工事中の聖ザビエル聖堂。
全て寄付金と、ボランティアの職人さんで只今、建設中なのです。
中に入ると、壁面そして天井に至るまで全て創建当時の工法で行っているため
とても手間と時間が掛かりますが、職人さんの笑顔は喜び溢れていました。

青い空に、朱色の瓦屋根、白い漆喰の外壁が、眼に痛い程、鮮やかです。

黙想の家の周りは、閑静な住宅街で、此処に住まわれている方は、朝、外に出ると、
このチャペルが、ドーンと見えるわけです。


幸せな風景。






そんな、素敵なチャペルの前を通り過ぎ、緩やかに曲がりくねった道は、森の中を通っているようです。

やや直線に成る頃に、黙想の家が見えてきました。


マリア様が、出迎えて下さるのです。

中庭の彫刻は、ゲッセマネから引かれて行く、主イエズス様でしょう。

しかし、主は堂々とされ、ローマ兵はまるで、お付きの者よう。






着きました、兄弟達と、そして主と共に禱る場へと・・・








火曜日, 9月 13, 2011

黙想にて-1・・・聖なる者たち











日々の聖務から、しばし解かれて

森の中、禱り集う

聖なる者たち。


沈黙の大気を陽射しが包む

独り一人の禱りを知るイエズスも

沈黙に在り

愛に在り



永い年月は聖人を形造る





その老修道士は、存在の極み


聖なる者達の聖なる瞬間

風が吹く

優しい時間






土曜日, 9月 10, 2011

Simone Weil≠「重力と恩寵」












黙想会で出逢った本。



これも、主の御旨。


黙想の恩寵。




シモーヌ・ヴェイユ著


『重力と恩寵』



Amazonで手に入れようかと思ったけれど
その前に、修道院の図書室を・・・

在りました。



邦題―『愛と死のパンセ』

翻訳者は、出逢った本の方とは違うのだけれど


それも、神の御旨。




黙想会の御話しは、あしたまた。。。


重力から、解き放たれて


恩寵へ!






土曜日, 9月 03, 2011

切支丹の里。





再び長崎巡礼を許され、本日は管区長様の御案内で、大山~善長谷~伊王島と巡って来ました。

長崎は、平坦な土地が少なく、国道から脇道に入った途端に、山道に激変します。
自転車では絶対に無理っ!そんな急勾配の道を登り始めると、すぐに鬱蒼とした山の中に・・・
大山は竹の産地でもあり、竹の森が続きます。
その竹の森は不思議で、少し不気味な風景です。

今は、こうして車で登れるのですが、切支丹の時代は、人が暮らすは過酷な土地でした。
そのため、長崎奉行所の詮議も、及び難いこううした、山奥に切支丹の村があったそうです。

山を登りきった辺りに、大山教会があります。
教会は、建て直した為に、新しい煉瓦たタイルの外壁の綺麗な教会です。

御聖堂のステンドグラスが素敵でした。







次に向ったのが、善長谷教会。

此処も、大山と同じく山の上、細い林道をこれまた凄い急勾配で、登りきった処に、教会は在りました。

教会から見る、長崎の海は、軍艦島を遠くに見る、眺めの良い場所です。

教会の脇に、古い木製の扉が在りました。



この扉の向こうには、別の世界が在る様な、そんな気分になるのです。



教会の入り口の上に、ステンドグラス製の十字架が掛かっています。



目立たない場所に、ぽつんと置かれている様に、在りました。



入口の脇の扉を開けると、ステンドグラスが優しく出迎えてくれのです。





色硝子と透明な古い板硝子から差し込む光は、本当に優しい・・・



最後に向ったのが、伊王島の教会、まるで西洋の御城の様な白亜の教会です。
港に面している教会は、晴れていれば、空の青と海の緑に映える事だと感じました。
生憎、台風の影響で悪い天候でしたので、想像しながら、教会を見上げていました。
そして、残念な事に、教会の修理工事の為、御聖堂に入れず、近くで外観を見るだけに成ってしましまいましたが、次回の楽しみが出来たので、神に感謝。

入口のマリア様を遠くに見ながら、天使祝詞を唱えるのです。





管区長様と教会に続く階段を下った処に、近所の御婦人がおられ、御話しをすると、お姉さまがシスターで、しかも、管区長様の御知り合いのシスターだったのですが、長崎では珍しくない偶然なのかもしれません。

月曜日には、長崎を離れて福岡の御受難会で黙想に入ります。

来年は、修練でまた長崎に来るでしょう。

長崎に心から感謝です。


金曜日, 9月 02, 2011

大天使ミカエル去りて、青。












4階の修室の窓から見る空は大きい

雲を眺めるのは好きだ

少しばかりの想像力を働かせ

この雲は、ミカエル様なのでしょう

ほんの僅かな時の天使様

ミカエル様は消えました

雲が切れ

窓枠一杯、青い空

あぁ、秋の青だ。