修道院の図書室には幼きイエズスの聖テレジア関連の書籍が豊富にしかも今や絶版になっている書籍がある。
此処に来る前にネットや古本屋で探したがどうしても見つからなかった本が、テレーズ物だけでなく蔵書されているのは、本当に感謝なのです、コンソラータの本を見つけた時は感激でした。
そんな宝の山のなかに、繰り返し読んでいる一冊の本がある、
「幼きイエズスの聖テレジアの教訓と思い出」と題された本である。
現在も版を重ねて出版されているのかは不明ですが、修道者テレジアを知るには良い書物でしょう。
修道会に入会する者は誰一人として、これを就職と考えて修道院の門を叩く者は存在しないのでしょう。
社会経験のある者なら尚更、どうしよもない心の衝動と神の呼び掛けに全くの自由意思で、その愛に呼応するのです。
でも、修道院も人の集まりです、しかも同じ屋根の下で寝起きし食事を共にし、共に祈ります。
日々の暮らしの中で悪魔の囁きか、そんな兄弟に憤り感じたり、些細な言葉で、傷つけたり傷ついたりと、外の社会と何ら変わらない人間関係が存在します。
そして修道会には社会的に責任のある仕事も在ったりするわけで、そんな俗世的な環境と人間臭い暮らしの中で、つい仕事を優先する事で自分を正当化するかもしれない、或る時から兄弟達との人間関係を窮屈と感じ、自分の殻に閉じ籠もってしまうかもしれない。
そこには、神に仕える喜びなど存在しない、神を感じない己がポツンと膝を抱えて暗がりで身を固めている。
この場所に居る事は、喜びです。大いなる喜びです。
神に仕えに来た者にとって、此処は全てが喜びです。
テレーズの教訓と題されたこの本を読む時、自愛心に支配されてしまいそうな自分をリセットできるのです。
勇気と喜びを聖女はすれ違ったその瞬間に、その御手からさり気無く落とすのです。
そうして、「私が死んだら、薔薇の花びらの雨を降らせましょう。」
そう言った聖女の花びらを、今日も一枚拾いあげるのでした。