金曜日, 3月 02, 2012

或、召命









ひとりの女性が修道院に尋ねて来られた

以前、召命と修道会の事で御相談に来られた方です

このブログを通して御知り合いになって戴き、今は霊的兄弟姉妹として祈り合っています。

修道会に入会するという行為は様々な悩みや障害が、少なからずあったりします。
けれど、その悩みや障害の殆どが外的要因であり、また酷く人間臭い事でもあるのです。
奉献生活を希望し主イエズスに捕われてしまった者には、
自己の内面的悩みも障害も存在しないのですから。

けれど、この外的な障害は時に乗り越えられない程に困難な事に思えてしまうのです。
それは、主を愛した者には死の宣告の様に絶望してしまう程に・・・

そんな中で、気づくのです。
神は善いものしか渡されない事に。

その、困難の真下で、多くの人間的愚かさを垣間見せて下さいます。
それは、自己の霊魂の善き糧となるでしょう。

そして、もう無理、もう駄目と思ったそんな困難を神様はいとも簡単にクリアして下さるのです。
どんなに苦しい状況であろうと、神様に信頼し全てを委ねる事、幼い子供の様に両手を挙げて
全てを委ねた、その時に神様は、望みを聞き入れて下さる。
そして、その望みは神様の望みでもあるのですから。



春、その女性は函館の修道院に行きます。

両御腕を大きく広げた聖母の御像の待つ修道院へ

彼女が、志願期そして修練を終え、終生誓願を竪て・・・キリストの花嫁にと嫁ぐ事を
この先、ずっと祷っていくでしょう。

それは、俺の召命の励みでもあります。

この狭い日本のカトリックの世界ですから、風の便りを聞くこともあるでしょう。
たとえお互いがどんな状況であっても、それを知らなくても
病める時も健やかなる時も、祷っている兄弟姉妹の存在が、大きな支えとなるでしょう。

同じ葡萄の樹の枝、しかも小さな枝同士だけれど、いつか葡萄の実をつけましょう。

その味は同じ、キリストの香りと味であります様に。

主イエズス・キリストに寄りて、願い希望致します。

俺の愛する姉妹よ、共にキリストの御足跡を見失う事なく歩める様に
祷り逢って参りましょう。

愛する姉妹に感謝。キリストに感謝。




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