金曜日, 1月 27, 2012

神のあわれみの愛に身を捧げる祈り





シスターのコメントへの返事の中で書いた聖テレーズの祈りについての
御質問がありましたので、原文と翻訳をアップします。
尚、記載の翻訳に関しましては幾つかのヴァージョンがあり
其れ等のうち俺が確認した翻訳と原文から、
俺が祈り易く、想いが込められる事を念頭において
行なったものなので、適切とは言えないと思います。
御了承下さいませ。



Offrande de moi-même comme Victime d’Holocauste 
à l’Amour Miséricordieux du Bon Dieu

Ô mon Dieu ! Trinité Bienheureuse, je désire vous Aimer et vous faire Aimer, travailler à la glorification de la Sainte Eglise en sauvant les âmes qui sont sur la terre et (en) délivrant celles qui souffrent dans le purgatoire. Je désire accomplir parfaitement votre volonté et arriver au degré de gloire que vous m’avez préparé dans votre royaume, en un mot, je désire être Sainte, mais je sens mon impuissance et je vous demande, ô mon Dieu ! d’être vous-même ma Sainteté.
Puisque vous m’avez aimée jusqu’à me donner votre Fils unique pour être mon Sauveur et mon Epoux, les trésors infinis de ses mérites sont à moi, je vous les offre avec bonheur, vous suppliant de ne me regarder qu’à travers la Face de Jésus et dans son Cœur brûlant d’Amour.
Je vous offre encore tous les mérites des Saints (qui sont au Ciel et sur la terre) leurs actes d’Amour et ceux des Saints Anges ; enfin je vous offre, ô Bienheureuse Trinité ! l’Amour et les mérites de la Sainte Vierge, ma Mère chérie, c’est à elle que j’abandonne mon offrande la priant de vous la présenter.
Son divin Fils, mon Epoux Bien-aimé, aux jours de sa vie mortelle, nous a dit : « Tout ce que vous demanderez à mon Père, en mon nom, il vous le donnera ! » Je suis donc certaine que vous exaucerez mes désirs ; je le sais, ô mon Dieu ! (plus vous voulez donner, plus vous faites désirer). Je sens en mon cœur des désirs immenses et c’est avec confiance que je vous demande de venir prendre possession de mon âme. Ah ! je ne puis recevoir la Sainte Communion aussi souvent que je le désire, mais, Seigneur, n’êtes-vous pas Tout-Puissant ?… Restez en moi, comme au tabernacle, ne vous éloignez jamais de votre petite hostie…
Je voudrais vous consoler de l’ingratitude des méchants et je vous supplie de m’ôter ma liberté de vous déplaire, si par faiblesse je tombe quelquefois qu’aussitôt votre Divin Regard purifie mon âme consumant toutes mes imperfections, comme le feu qui transforme toute chose en lui-même…
Je vous remercie, ô mon Dieu ! de toutes les grâces que vous m’avez accordées, en particulier de m’avoir fait passer par le creuset de la souffrance. C’est avec joie que je vous contemplerai au dernier jour portant le sceptre de la Croix ; puisque vous (avez) daigné me donner en partage cette Croix si précieuse, j’espère au Ciel vous ressembler et voir briller sur mon corps glorifié les sacrés stigmates de votre Passion…
Après l’exil de la terre, j’espère aller jouir de vous dans la Patrie, mais je ne veux pas amasser de mérites pour le Ciel, je veux travailler pour votre seul Amour, dans l’unique but de vous faire plaisir, de consoler votre Cœur Sacré et de sauver des âmes qui vous aimeront éternellement.
Au soir de cette vie, je paraîtrai devant vous les mains vides, car je ve vous demande pas, Seigneur, de compter mes œuvres. Toutes nos justices ont des taches à vos yeux. Je veux donc me revêtir de votre propre Justice et recevoir de votre Amour la possession éternelle de Vous-même. Je ne veux point d’autre Trône et d’autre Couronne que Vous, ô mon Bien-Aimé !…
A vos yeux le temps n’est rien, un seul jour est comme mille ans, vous pouvez donc en un instant me préparer à paraître devant vous…
Afin de vivre dans un acte de parfait Amour, je m’offre comme victime d’holocauste à votre Amour miséricordieux, vous suppliant de me consumer sans cesse, laissant déborder en mon âme les flots de tendresse infinie qui sont renfermés en vous et qu’ainsi je devienne Martyre de votre Amour ô mon Dieu !…
Que ce martyre après m’avoir préparée à paraître devant vous me fasse enfin mourir et que mon âme s’élance sans retard dans l’éternel embrassement de Votre Miséricordieux Amour…
Je veux, ô mon Bien-Aimé, à chaque battement de mon cœur vous renouveler cette offrande un nombre infini de fois, jusqu’à ce que les ombres s’étant évanouies je puisse vous redire mon Amour dans un Face à Face Eternel !…
Marie, Françoise, Thérèse de l’Enfant Jésus, de la Sainte Face - rel.carm.ind.
Fête de la Très Sainte Trinité, le 9 juin de l’an de grâce 1895


神のあわれみの愛に身を捧げる祈り






 おお、神様、幸福そのものでいらっしゃる聖い三位の神様!
私は御身を愛し、また愛させ、世に在る人々を救霊の道に導き、煉獄の霊魂に天国の門を開いて、聖会の光栄のために尽くしたいのです。

 主の御旨を完全に果たし、私のために御国に備えられている光栄の高さまで達したいのです。
 すなわち、私は、聖人になろうと願っております。

けれども私は、じぶんの無力を感じておりますゆえ、おお、神様、どうぞ御身ご自身、私の聖徳におなり下さい。

 御身は、御ひとり子を、私の救い主、天の、花婿として御与えになるほど、私を愛しておられたのですから、御子の功徳の限りない宝は、みんな私のものでございます。

 それゆえ私は、喜んでそれを御身に御捧げし、どうぞ、イエズス様の尊い面影を通してだけ、また愛の燃えるイエズス様の御心の中だけ、私を眺めて下さるようにお願い致します。

 また、天国とこの世に居る聖人すべての功と愛の行いを、すべての天使たちのそれとともに、御身に御捧げ致します。

 そして、おお、もっとも幸いな聖三位の神様、私はさらに私の御愛する御母、処女聖マリアの愛と御功徳を御捧げし、聖母の御手にこの奉献をお任せし、聖母御自らこれを御身に御捧げ下さる様に心からお願い致します。 
 尊い御子、私の最愛の天の花婿は、地上におられたとき、「あなたたちが、私の名で、父に御願いするものは、何でも与えて下さるだろう!」と、おおせになられたのですから、御身は必ず私の望みを叶えて下さるものと信じております。おお、私の神様、御身は、与えようと御望みになればなるほど、ますます熱く望ませようとなさるのを、私は存じ上げております。私は、果てしない望みが心に湧き上がるのを覚えます。そして深い信頼をもって、御身が私の霊魂を、完全に御身のものになさって下さる様に御願い致します。ああ!私は、自分が望むほど度々御聖体を拝領する事ができません。けれども主よ、御身は全能であられるのではないでしょうか?聖櫃の内に御留まりになる様に、私に内にも御留まっておられ、主の小さいホスチアから、決して遠ざからないで下さい。

 私は罪人の忘恩償い、御身を御慰めしたいと願っております。私が御身の御心に背こうとする自由を、取り去って下さる様に、心からお願い致します。もし私の弱さのために、あやまちを犯すことがあれば、すぐに、御身の尊い御眼差しで私の霊魂を清め、ちょうど炎が全てのものを、同じ火に変えてしまう様に、私の全ての不完全を焼き尽くして下さる様に!

 おお、私の神様、御身が私に下さった全ての御恵み、とりわけ、苦しみの坩堝を通らせて下さったことを、感謝申し上げます。私はこの世の終わりには、十字架を王笏にして君臨される御身を、喜び拝むことができるでしょう。御身は、御身はこのように、尊い十字架を、私にも分け与えて下さったのですから、天国で私は、御身に似た者となり、私の光栄の身体に、御身の御受難の尊い御傷が、輝いていることを希望致します。

 地上の島流しが終れば、天の故郷で、御身を御享けすことができることと、希望しています。けれども、天国のために功徳を積もうとは望みません。ただひたすらに、御身をお喜ばせし、御身の御心をお慰めし、人々の霊魂を救い、永遠に御身を愛させることだけを目当てにし、ただ御身への愛のためだけに働こうと望んでおります。

 この世の命の夕べに、私は空の手で御身の御前にまかり出ることでしょう。主よ、私の主よ、私は、私の善業を数えて戴きたいとは願いません。主の御眼には、人の義も全て汚れたものとしか映りません。ですから、私は、私は、御身ご自身の義を纏い、御身の愛によって、御身ご自信を、永遠に自分のもとしたいのです。おお、最愛の御方よ、私は、御身ご自身でなければ、他のどのような王位も栄冠も望んでおりません。

 御身にとって、時など何ものでもございません。一日も千年です。それゆえ瞬く間に、私を御身の御前に出るに相応しい者になさることがおできになります。

 一つの完全な愛の行いのうちに生きるために、主のあわれみの愛の生贄として、私はじぶんを御捧げ致します。おお、私の神様、どうぞ絶え間なく私を焼き尽くし、御身の中に堰き止められている限りない御慈しみの波を、私の霊魂にみなぎらせ、御身の愛の殉教者にして下さい。

 この殉教が私を主の御前に出るのに相応しい者にした後に、遂に私を死なせますように!こうして、私の霊魂が、まっしぐらに飛んで行って、御身のあわれみの愛に、永遠に抱擁されますように!

 おお、最愛の主よ、私は、この世の影が消えうせて、永遠に、顔と顔とを向けあって、御身と愛を語ることができる日まで、心臓の鼓動に合わせて、何度も何度も、この奉献を繰り返していく覚悟です!



不肖なるカルメル会修道女
幼きイエズスと尊き面影の
マリー・フランソワーズ・テレーズ







5 件のコメント:

  1. 私も誓願式の時、この祈りを胸に入れていました。
    憐れみ深い愛にすべてをささげるなんて、本当にありがたいことですね。「祈りの友」に載っている短いバージョンをちょくちょく唱えています^^

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  2. ✝シスター✝おはようございます。

    テレーズがこの祈りを作って、姉のシスター達に共に祈って

    欲しいと願った時、姉達は最初嫌がったらしいですね

    「聖人なりたい」とか「生贄」とかの文言に抵抗があった

    ようで・・・けれどこの恐ろしく長い祈りに込められた

    テレーズの愛を想うと、それらの文言もとても自然で

    必然だと感じます。

    この長い祈りを、丹念に言葉を撫ぞる様にゆっくりと

    祈ります。魂の中で燻っている愛の残り火がその炎を次第に

    強め、愛に向かう決意を新たに出来るのです。

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  3. お姉さんたちが、恐れた理由もちょっとわかる気がします。聖人になるためには、なぜかたくさんの試練がやってきたり、謙遜になりたいと思ったら、心が折れそうな出来事と出会ったり・・生贄っていうと、きっとたいへんなことになる~~~!って思ったでしょうね^^
    でも、いつくしみ深い愛への奉献は、違うっていうことを一生懸命に伝えて、セリーヌと一緒に捧げることが出来たテレーズの聖性への直観ってのは、やっぱり天才的ですね

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  4. ✝シスター✝有難うございます。

    テレーズは幼い頃か霊的な直感は強かったですよね

    けれど、彼女が当時は余り読むことを勧められていなかった

    旧約や新約聖書に精通していましたし、アビラ様の著作は

    勿論の事、十字架の聖ヨハネ、聖フランシスコ・サレジオ

    そして聖フランシスコの書物を本当に丹念に読んでいた

    んだなあと、彼女の残した書物から伺い知りますから

    天才的な直感に加えて豊富な知識を持っていたのだと

    感じます。

    本当にあの短い修道生活の中で残してくれたものは

    俺なんかが生涯を費やしても理解できない程の神秘的な

    宝物です。

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  5. そうですよねえ。本当に宝物ですよね。

    すごいなあと思うのが、17歳のテレーズの愛読書が十字

    架の聖ヨハネだったってことです。

    カルメル会の聖人が好きなので、かなり読んでいる方だと

    思うのですが、十字架の聖ヨハネは、挫折してしまいま

    す。やっぱり、彼は神学者だから、ちょっと難しいなあっ

    て思います。暗夜のところとか、わかるけど、もうちょっ

    とわかりやすく・・・って思ったりして^^

    でも、テレーズがそれをわかりやすく引用してくれてるか

    ら、大変ありがたいです。

    母大テレジアとまた、違った味があっていいですね

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