金曜日, 1月 13, 2012

マザー・テレサの言葉は・・・










東京の神の愛の宣教者会修道院に伺った時の事。

台所(キッチンと表現するより、台所なんです)の壁には
予定表や沢山のメモが貼られていました。

そんな中に、マザーの言葉が、辿たどしい文字で書かれているものを見つけたのです。
よく知られている言葉の中に、ひとつ深く考えさせられた言葉に出逢いました。


『遠くにいる人を愛するのは簡単です。けれど近くの人を愛するのは困難な時もあります
しかし、身近な人を愛する事から行いましょう』

正確には覚えていないのですが、こんな感じの意味だったと思います。

身近な人、それは家族です。

父親、母親、兄、弟、姉、妹、祖母、祖父・・・共に暮らしていると
感情の釦を掛け違えてしまう。
赦す事の出来ない仕打ちを受けてしまう事すらある

愛すると云う行為は、自分の利益を考慮しては行えないのです。
けれど、誰でも「期待」する、そう俺だって「期待」してました。

でも「期待」する心に愛は宿らない、小さな裏切りでも身近な者なら憎しみに変化する
だから、遠くの人を愛そうとする
裏切られた時に傷つかな為に、自分自身の為に
だから、愛に似た愛でない行為なのかもしれない。

愛には、強い意思が必要でしょう。
必ず傷つくのが、愛という行いですから、愛するんだ、と強く決意しなければならない
しかも、もうそれを途中で放棄出来ないのです。
愛する事を、途中で止めてしまえば、人を大きく傷つけるのですから。

けれど他に、愛は存在しない。

「赦せない者を、赦し、愛しなさい。」


「傷つくのは、あなたです。愛するのも、あなたです。だから愛しなさい。
何故なら、主はあなたがそれに気づくまで、そうあなたを愛しておられるのですから」

マザーがそう語っているようです。


マザー・テレサの言葉は・・・強い、そして 美しい。










4 件のコメント:

  1. ホスチアさん

    >愛には、強い意思が必要でしょう。

    意志がなくても、私は愛することがやめられないです。
    もし、嫌われても愛することは、やめられないです。
    私は人を愛して傷ついたこともないです…記憶がないです。
    兄弟や両親と喧嘩もしたけど、楽しかったな…
    今思うと、私の愛は、息子にしたら、うっとうしかったかも知れませんね^^;

    ごめんなさい。気持ちが理解出来なくて。

    ホスチアさん、多くの方に愛されてますよ。
    もちろん、私も(^^)
    愛することが私の幸せなんです。

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  2. マリア様の御手に傷があるイコンを見たことがありました。マザーの言葉と重なり思い出されます。
    (`・ω・´) シャキーン

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  3. ✿道子さん✿まりあぁ~(*´∀`*)

    コメント有難うございます。

    俺は、自己中心的な男ですから、意思を持たないと「愛する事」より、「青される事」を期待してしまいます。

    その鎖から、主は開放して下さる手立てを、主によって示して戴きました。

    その気持ちです。

    マザーのその言葉の下には、もうひとつ言葉が書かれていました。

    「愛する事は、傷つく事です。」と、俺は共感出来ました。

    自然に愛せる、道子さんが、羨ましいです。

    それは、本当に神様の御恵みですね。

    俺は、まだまだ愛される事に期待してしまいますから・・・

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  4. ✾リアンさん✾まりあぁ~(*´∀`*)

    マリア様の御象や御絵で、胸に何本もの剣を突き刺されているものを、
    見ますと、マリア様は主、以上に傷つきながらも愛を全うされた方
    なのだと思い知ります。

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