金曜日, 7月 08, 2011

声。

創世紀・第3章8説
「その日、風の吹く頃、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた・・・」

風は神である。
ヘブライ語の音は、声とも読み取れる。

祈り、兄弟と共に暮らし、暑さに負けそうになりながらも
兄弟姉妹と学ぶ日々

ひとり、御聖堂に座る時
ふっと感じる


俺は、此処に何故いるのだろう・・・と、



主よ、貴方の声に捕えられたのに
貴方と、砂漠の中
小さな焚火の前、貴方が言ったあの一言、あの声に捕えられたのに

「愛、さぁ行こう」

あの時に躊躇った事、それでも貴方は、俺を愛して下さった事
そう、全て愛なのに

主よ、此処に居る自分を相応しいのかと、思う日々があります。

それでも、立ち止れない
立ち止ってしまったら、主よ貴方の背中を見失ってしまいそうで

俺は、此処に居ます。

愛は、此処にと、叫ばずにはいられないのです。

主よ、愛しています。











金曜日, 7月 01, 2011

Trinitas







神学院の授業のひとつに「組織神学」がある、その中で三位一体論を学んでいるのですが、
神の神秘中の神秘を、俺が理解できる筈もないのです、そこをなんとか理解しなければと
書物から講師の授業から必死に知ろうとしている訳であります。

先日の講義の時に、その必死な感覚に変化があった、講師のフランシスコ会のO神父様の話しを聞いているうちに、とても幸せな気持ちになっていたのです。




電車の中で、よく赤ちゃんを連れたお母さんを見掛ける、お母さんが赤ちゃんを見つめる顔、小さな丸い手を伸ばしてその顔を触ろうとする赤ちゃん。
その愛の発信と応答を眺めていると、自然と嬉しくなり、微笑みが浮かぶ。

そう、その感覚と似ている思いが講義を受けている時に起こった
それは、暖かな優しさに包まれるような感覚です。
それだけではない、優しく、激しく、その感覚に応えようとする想い・・・

御父の限りない優しさに全身全霊で応えようとする、御子の熱い想いと激しさ
その聖なる偉大な愛の交換の中で、抑えても抑えきれないのだとばかりに、
その愛から発せられる聖霊。

聖霊は光の触手となり、人の霊魂を捉えて包み込む
捉えられた霊魂は、その大いなる愛の交わりにと優しく、激しく応えようとする・・・

もし、今この俺もその、父と子と聖霊の愛の交わりの、隅の隅に加わらせて頂いているのなら。

そう、感じた時、優しい愛でありたい、激しい愛でありたい、応える愛でありたいと祈らずにはいられなくなるのです。

どう頑張っても、聖トマス・アクイナスの様に、聖ボナベントゥラの様に論理的には理解出来ないけれど、主が一瞬垣間見せてくれた、Trinitasは、永遠なる宇宙の神秘の様な、映像でした。


聖なる三位の神は賛美されますように。アーメン✝