「もっと、落ち着きなさい」
デザインの仕事をしていた時、プレゼンの資料やデザインを上げるのに
大抵は時間が足りなかった。
その為、しっかりとコンセプトを把握しないまま、見栄えの良いデザインに走ってしまう
けれどそんなデザインでは採用される訳も無く、たまたま採用されたとしても
デザイナーとしての良心が痛み、採用後にもう1度、デザインし直していた気がする。
仕事は非情な行為なのかもしれないけれど、仕事をこなすのも、仕事の成果を期待するのも人と人。
大きな消費社会の中で、販売と大きな関わりのある仕事をしていた時でも
表現したかったのは、もしかしたら「愛」だったかもしれない。
否、愛が欲しかったのかもしれない。
愛されたいと願い、生きていたのでしょう。
賞賛される仕事をして・・・愛されたい、と
それも、早急に。
自分は傷つかないまま・・・
そんな、身勝手な男をさて、いったい誰が愛するでしょう。
そして、いつも淋しいまま・・・
神様の存在を体験した時、イエズス様の声に触れた時
そんな自分を、辞めていた。
気がつけば此処に居て、気がつけば愛される事を放棄して
唯、愛していようと熱望してる、自分が存在していた。
そう堅い決心や決意が「その時」にあったのか
忘れてしまったけれど・・・
時間はゆっくりと流れて、その流れに浮かぶ小舟に乗っていたように
此処にいる。
修道院の中庭、マリア様。
大好きなマリア様、けれどもう急がない
貴女の愛を欲しいとは思いません。
貴女の様に、唯、愛する存在になれるよう
貴女の様に、主の御旨に生きる事だけを目当てにし
ゆっくりとゆっくりと、すこしづつ。
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