水曜日, 2月 23, 2011

すこしづつ

子供の頃、大好きな物を眼の前にすると、慌てて、急いで母親に叱られた。

「もっと、落ち着きなさい」


デザインの仕事をしていた時、プレゼンの資料やデザインを上げるのに

大抵は時間が足りなかった。

その為、しっかりとコンセプトを把握しないまま、見栄えの良いデザインに走ってしまう

けれどそんなデザインでは採用される訳も無く、たまたま採用されたとしても

デザイナーとしての良心が痛み、採用後にもう1度、デザインし直していた気がする。
仕事は非情な行為なのかもしれないけれど、仕事をこなすのも、仕事の成果を期待するのも人と人。


大きな消費社会の中で、販売と大きな関わりのある仕事をしていた時でも
表現したかったのは、もしかしたら「愛」だったかもしれない。


否、愛が欲しかったのかもしれない。


愛されたいと願い、生きていたのでしょう。
賞賛される仕事をして・・・愛されたい、と
それも、早急に。
自分は傷つかないまま・・・


そんな、身勝手な男をさて、いったい誰が愛するでしょう。
そして、いつも淋しいまま・・・


神様の存在を体験した時、イエズス様の声に触れた時
そんな自分を、辞めていた。


気がつけば此処に居て、気がつけば愛される事を放棄して
唯、愛していようと熱望してる、自分が存在していた。
そう堅い決心や決意が「その時」にあったのか
忘れてしまったけれど・・・
時間はゆっくりと流れて、その流れに浮かぶ小舟に乗っていたように



此処にいる。





修道院の中庭、マリア様。
大好きなマリア様、けれどもう急がない
貴女の愛を欲しいとは思いません。


貴女の様に、唯、愛する存在になれるよう
貴女の様に、主の御旨に生きる事だけを目当てにし

ゆっくりとゆっくりと、すこしづつ。



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