長崎に行く日が後、数日とりました。
修練に入ればネットは使えません
メールも出来ないのです。
それもあってか、お別れの御挨拶を為さって下さる方のメールが入ります。
1年間なのですが、今生の別れみたいな感じになってしまわれる方も居られ
愛されているなぁ。。。などとニマニマしてしまいます(*´∀`*)
大切にされていた、御メダイやロザリオを下さる方も居れれて恐縮してしまいます。
そんな風なので俺もこのまま誰にも再会出来ないのかも・・・なんて想ってしまい
形見分けみたいに大切に使っていた物を差し上げてたりしちゃいます。
この大切な物。。。文字通り物なのですが、
気にっていた物から差し上げたいと思い
気がついたら、大して大切ではなかった物ばかりが手元に残っています
でもまだ、お気に入りストックはあるのですよ
(どんだけ物を持ってるんだぁ~)
そんなツッコミが入りそうですが、ホントよく集めたものと我ながら呆れます(笑)
それでも、大切な物を差し上げると、喜んで下しさいます。
その笑顔に触れる事の方が、物とは比べ物にならない程に素敵な事です。
大切な物を、誰にも触れさせず自分だけの喜びとするなら
この笑顔には出逢えない、この宝物には辿り着けないのです。
大切なのは、己ではなく、笑顔の誰かなのだと知る事は永遠にないのでしょう。
そして、物を己の満足の為に持ち続ける事では霊魂の自由は叶えられないのでしょう。
御父は、最も大切な御子を俺達に渡されました。
そして聖母も同様に、御父と御子の御旨に信頼し、愛する我が子を世に渡された。
俺は、どこまで大切を差し出せるだろう
この命を、誰かの為に惜しみなく差し出せる愛を持つ事が出来るだろうか
大切なものは、あなたですと、言える自由を得ることが出来るだろうか
その愛は、きっと俺の宿望なのです。
あなたが、大切なんです。
そう言って命を差し出せる者に俺は成りたい。